宇宙ビジネスは、これまで政府機関が主導するプロジェクトが主流でした。
しかし、近年では科学技術の発展により、民間企業の宇宙ビジネスへの参入が活発になっています。
Space Xに代表されるような、宇宙ビジネスに挑戦するベンチャー企業が全世界で増加しており、市場規模の成長の大きな要因となっています。
一方、大企業の中にも、いち早く宇宙ビジネスに着目し、新たな事業領域の一つとして取り組む会社があります。
ANAもその一つ。
宇宙ビジネスを行うスタートアップへの出資を含め、様々な宇宙ビジネスのプロジェクトに参画されています。
ANAにおける宇宙ビジネスの中心となる、社内のイノベーション創出部隊「デジタル・デザイン・ラボ」をリードする津田佳明さんに、デジタル・デザイン・ラボの取り組み、宇宙ビジネスの可能性や課題、宇宙ビジネスの将来像をお伺いしました。
津田 佳明
1992年に東京大学経済学部を卒業後、ANAに入社し福岡支店に配属。5年間の旅行代理店セールスを経て1997年に営業本部に異動。航空運賃自由化、ダイレクト販売推進、レベニューマネジメント体制構築、沖縄貨物ハブ設立など、新たなビジネスモデルの創造に参画。2013年の持株会社制移行を機にANAHDへ出向し経営企画課長。2016年にイノベーション創出部隊として設立したデジタル・デザイン・ラボをリードし、2019年よりアバター準備室を設立し室長を兼任。2020年4月よりグループ経営戦略室事業推進部長。ANA発スタートアップavatarin(アバターイン)および宇宙ベンチャーのPDエアロスペースの社外取締役も兼任。
デジタル・デザイン・ラボの取り組みについて
倉原:デジタル・デザイン・ラボについての取り組まれている事業領域やその背景をお伺いできますでしょうか。
津田さん
まず、なぜANAが宇宙事業を始めるようになったか、何をしているのか、デジタル・デザイン・ラボも絡めて、お話させてください。
ANAは便名の前のアルファベット2文字がNHになっていて、お客さまから分かりにくいというお声をいただくこともあります。お客さまからお声を頂くとだいたい直すのですが、これだけはこだわって直してない。NH15便とか、NH521便とかそういう便名になっています。
このNHって創業のときの日本ヘリコプターという会社の略です。
創業のときはヘリコプター2機で役員も入れて16人からスタートして、今、ジェット機300機で、4万5,000人ぐらいになりました。かなりいろんなチャレンジを繰り返さないとこれだけ企業は大きくならないので、もともとDNA的にはチャレンジをしていくことを叩き込まれています。3年に1回、4万5,000人が必ず受ける研修があるのですが、創業期の頃を振り返って、給料が3カ月遅れてもいかにみんな頑張ってやってきたかということを共有します。とにかくチャレンジしていかないとみんな生きていけないということをたたき込まれます。
そういう教育もしているので、行動指針の5つの項目中の1つが「エンデバー、努力と挑戦」になっているのです。
でも、会社が大きくなってきましたし、そもそも安全運航が至上命令な会社なので、マインドセット的には結構コンサバティブになりがちです。コンサバティブだと、通常どおりとか計画どおり、今までどおりのオペレーションっていうのが、ベストパフォーマンスになるので、今までにないものや、新しいものに抵抗感が強くなってしまいます。
この新しいものに対する感度が鈍いという点に経営層の危機感がかなりあって、エアラインのマインドセットは崩せないので、まったく別の部隊で、エアラインの考え方や判断基準とは一線を画した部隊をつくろうということで、デジタル・デザイン・ラボが2016年にできました。
現在は20人のメンバーがいて、何をやるかも全部自分たち任せにしているのですが、その中の1つに宇宙が入りました。複数人でやっているものも中にはあるけど、基本的には1人1テーマです。20人の内訳は男9人、女11人で、今年は意識して男性を集めましたが、それまではだいたい男女比1対2ぐらいでした。ANAグループ内の公募で集めるのですが、かなりの比率で女性から手が挙がります。ベンチャー、スタートアップ、宇宙もそうかもしれないですけど、トップが女性のケースも多かったりするので、女性のほうがイノベーション領域に向いているのかなと思ったりします。
倉原:入るときは、他部署との兼任ではなく専任ですよね。
津田さん
そうです。でも、大きいものはプロジェクトも持っていて、例えば、宇宙領域でいくと、パイロット、整備士、運航管理者とか、そういうところのセクションから兼務で人を巻き込みながらやっているケースもあります。ただ、デジタル・デザイン・ラボのメンバーは自分の案件だけを、100%業務時間を使ってやるので、ANAグループの中ではかなり特殊な部隊にはなります。
倉原:領域もいろいろありますしね。
津田さん
そうなのです。各部門のエース級人材とか優等生とか言われる人ではなく、ちょっとはみ出している、組織には収まらないような人じゃないと、この状況を楽しむことが難しいのです。半年、1年成果が出ないどころか、何をするのか見つからないという状況に耐えられない人も多いので、鈍感力が高いことが要件かもしれません。
4年前に少人数で立ち上がったときに、これをやれという会社からのミッションがなかったので、どういうふうに考えればいいのか迷いましたが、そのときに1つ考えた軸として、イノベーションの中でも、ディスラプティブなイノベーションにフォーカスしようと考えました。
輸送業を振り返ると、昔はどんな偉い人でも自分の足で歩いて移動していたのが、かごみたいなのができた。でも、馬車ができたら、それより快適なので、完全に馬車に置き換わる。そして、馬車から自動車に変わった。50年ぐらい前は客船に乗って、アメリカやヨーロッパなどに半月とか1カ月かけて行っていたんですけど、急に飛行機が出てきて、半日で行けるようになったので、みんな飛行機に乗るように変わってしまいました。
とすると、この飛行機もあと50年ぐらいしたら、「昔の人って、あんな重たそうなでかいものにみんな乗って移動していたらしいよ。」という感じに必ずなるので、それが何なのかを考えました。それが出てきてしまうと、ANAはもう存在価値がなくなってしまうような、自分たちを脅かして、自分たちを食ってしまうもの自体を自分たちのサービスにしたら良いのではないかと。
そこでまず考えたのが、テレポーテーションです。技術的には量子テレポーテーションはもう成功しているので、意外といけるのではないかと思ったのですが、これを安全にできるようにするための実証実験の過程は、100年がかりのプロジェクトになることがわかりました。これはつまり、100年後に「どこでもドア」ができるということになります。じゃあ、100年後どこでもドアがある前提で、今、何をやればいいのか考えたときに、「自分たちを食いにいく」ことによる成功体験がヒントになりました。世界中見ても大手エアラインはLCCに領域を食われてきています。日本はLCCの導入がかなり遅れて、2013年に初めてPeachがLCCとして市場に参入しました。実はpeachはANAグループがつくったのです。これは世界的に見ても珍しくて、自分たちの領域を脅かす会社を自分たちでつくって、自分たちで食いに行くという戦略になります。他国での例のようにLCCの参入を妨害して時間稼いでも、どうせ数年後には参入されてしまうので、自分たちで作っちゃおうよということになりました。その後それなりの営業利益を稼ぐようになり、利益率でもANAと同じようなレベルにもっていくことができました。この成功体験が発想の原点です。
そこで出てきたビジネスアイデアが3つあります。
1つはドローンです。今は小型ドローンが主流ですけど、サイズが大きくなって、機体性能やバッテリー性能が向上して、エアモビリティーでどこにでも行けちゃうようなことになれば、めちゃくちゃ便利になるので、利便性で破壊的な存在といえます。
次に、宇宙です。宇宙事業は、まさにイーロン・マスクがニューヨークから上海まで39分で飛ぶと言っている世界ですが、宇宙圏に行ける機体ができればおのずと、オービタルに飛べば2地点間の超高速輸送ができるようになります。地球上どこでも1~2時間で行けてしまう乗り物ができたらこれは脅威だから、自分たちでやりたいよねとなりました。
最後は、アバターです。これはテレポーテーションの実装がかなり長期間になるので、テレプレゼンスという物理的な移動を伴わなくても自分の存在意識だけを転送する技術に注目しました。これを使って実際に新しい移動の概念をつくれるのではないかと。
これらが、ドローン・宇宙・アバターの3つが、デジタル・デザイン・ラボの中でも、大きなプロジェクトとして動き始めた背景です。
ここからは、宇宙のお話になりますが、ANAが宇宙に取り組むまでの布石がもともとありました。
ANAでは「30年後のANAはどうなっていたい?」ということを新入社員に書かせたりするのですが、現在のANAホールディングス社長の片野坂が入社したときに、「30年後のANAは宇宙飛んでいる会社になっていたい」と書いていました。経営トップが宇宙への強い思いを持っていて、経済誌でのインタビューでも宇宙について発信していました。のちに出資することになるPDエアロスペースの緒川社長は、その記事を持ってANAのオフィスに飛び込んでこられました。
また、2025年までのANA長期戦略構想の裏表紙には「次は、宇宙へ。」と書かれています。私が経営企画部に所属して経営戦略を担当していた2015年に、10年構想をつくっていました。エアラインなので10年後、例えばアフリカとか南米に就航しますということを書くのですが、そんなの別に書かなくたってどうせ就航するのだろうし、10年構想というわりには中身つまらないという雰囲気になってしまいました。最後に裏表紙が1枚余ったので、だったら次に宇宙に行くってことでどうですかという感じで書いたのです。めちゃくちゃ怒られるのかなと思って役員会にかけたら意外と評判が良くて、「エアラインとしてこの10年間に地球上でできることは全部やりきって次は2025年に宇宙に行きます」というメッセージを発信することになりました。これが結構、従業員にも話題になって、「次は、宇宙へ。」ということで社内がまとまったという布石があります。
事業ポートフォリオで見ていくと、FSC・LCC・貨物が3本柱なのですが、先ほどの3つのプロジェクト、ドローン・宇宙・アバターを新規事業領域として取り組んでいます。これらは、運航管理や機体整備などエアラインのオペレーションで培ったノウハウを活用できる領域であり、将来的には本業の航空事業の中に入る可能性のある収益事業に位置付けています。
宇宙に関する活動例として、まずPDエアロスペースへの出資があります。航空整備士を派遣して機体開発に関わっています。サブオービタル宇宙機として、まずは上空100キロ超えて宇宙圏への輸送を行い、将来的には2地点間の高速輸送という流れを考えています。
次に、SPACE PORT JAPANへの参画があります。アジア初の宇宙港を日本国内に開港して、アジアにおける宇宙事業のハブとなるようにもっていきたいという想いで、大分や沖縄の下地島とやり取りをしています。本当はPDエアロスペースが最初に滑走路を使って宇宙に飛び立てばいいのですが、おそらく現状ではヴァージン・オービットが有力だとみています。ANAはヴァージン・オービットと包括的な業務提携を締結しており、彼らがアジアで小型衛星の打ち上げを行うときには、ANAがそのオペレーションをサポートすることになります。これは宇宙港とセットでの展開になります。
また、S-Boosterのアイデアコンテストでの大賞受賞案件になりますが、低高度衛星にドップラー風ライダーを積んで、上空の細かい風の予測精度を上げるというアイデアがあります。これが実現すれば、最適な航空機の飛行経路を選択できることによって、大幅な燃料コストの抑制、CO2排出量の削減、快適な機内空間の実現が期待できます。
同じアイデアコンテストの中でANAホールディングス賞受賞案件として、ポーラ・オルビスグループとの取り組みを始めています。まだ誰も言ってないので言ってしまいましょうという展開で、世界初の宇宙化粧品をつくりますと宣言しました。他にも、衛星データを活用して、紫外線の少ない地域を訪れる美肌のツーリズムの開発も行っています。
最後に、宇宙アバターの取り組みです。ANA発スタートアップのavatarin(アバターイン)が提供する目玉親父みたいなスペースアバターがISSの船内にあるのですが、先日これに地上からつないで、ISSに到着したばかりの野口宇宙飛行士とコミュニケーションを取りました。宇宙ステーション内にあるアバターが映し出した映像を見ながら、街中から送ったコマンドでアバターを操作するという実験をやりました。将来的にはアバターを遠隔操作することで宇宙での活動をサポートしていきたいと思っています。これらが私たちの宇宙に関する取り組みです。
倉原:ありがとうございます。デジタル・デザイン・ラボは、移動という領域を破壊するかもしれない事業に取り組むところから始まっているのですね。
津田さん
そうですね。いろんなことに取り組んでいますが、そこが根本にあります。
各自が取り組むことについて、ルールは3つあります。
1つ目は、ANAグループの経営理念「安全と信頼を基礎に世界をつなぐ心の翼で夢にあふれる未来に貢献する」に沿っていることです。「世界をつなぐ」ことに私たちの存在意義があるので、これまでは旅客機を使って、お客さまを空港から空港へつないできましたが、もうちょっと広い捉え方をして、飛行機じゃなくてもいいし、物理的な移動をしなくても、とにかくお客さまが世界とつながることに最終的にたどり着く案件にしようということにしています。
2つ目は、まだ誰もやったことがないことをやろうということにしています。
最後は、アイデアを出すだけでは駄目だということです。事業計画をピシッとつくり込んだり、体のいいプレゼンをしたりすることが得意な人は結構いるのですが、それで終わってしまうことがよくあります。また、ローンチは別のものがアサインされるのですが、何の情熱もないためにうまくいかないケースがよくあります。なので、ローンチで汗かくところをちゃんとやる覚悟があるものだけを提案してねということでやっています。
この3つを約束すれば何に取り組んでもいいことにしています。
倉原:なるほど。ラボのメンバーに対しては、その事業をもって独立するかもしれないと考えてらっしゃるのですか。
津田さん
アバターのようにANAグループの中に類似性のある事業がないものは、新たに会社をつくっていくしかないので、ANAが投資してメンバーがスタートアップを設立しました。他の案件で、例えば、ANAの会員がベースになっているようなプランについては、グループの事業会社にメンバーが異動しているケースもあります。どのようなケースでローンチしたとしても、責任者として事業をけん引してもらうことにしています。
倉原:外に出すだけでなくて、ANAの事業として中で育てていくっていう方向もあるのですね。
津田さん
中でやったほうが相性いいものもあります。ただし三大プロジェクトについては中だけではどうにもならないなと思っています。
(続)
中編では、デジタル・デザイン・ラボが取り組む事業のうち宇宙事業について掘り下げてお伺いします。